日本では生き辛くて約3年かけてバックパッカーとして世界を巡った【自分探しやり過ぎ】の私が17カ国の色んな文化・人に触れ見つけた答えとは?


私は大阪の泉州で生まれ育ちました。
 

両親は自営業で、家に殆ど居なかった為、私の寂しさを紛らわすために幼い私に母はマンガを沢山買い与えてくれました。


【大和和紀先生のはいからさんが通る】や【いがらしゆみこ先生のキャンディキャンディ】などの世界にどっぷり浸かって過ごした子供時代で、授業中もマンガばかり描いていて、先生に注意ばかりされていた空想好きな少女でした。

 

学生時代・・・家庭環境が良くなかったので、家に帰りたくない気持ちからか、友達には恵まれていました。
  


働くのが【嫌】という理由から専門学校に進む


なんとも後ろ向きな理由からの進学でしたが、幼い頃から洋裁や何かを創ることが好きで、ファッションにはとても興味がありました。高校の後は、単純に好きというのを理由にファッションデザインの専門学校に進みました。

創作が好きとは言っても、学校では決まった課題を提出する必要があり、そんな物には創作スイッチはもちろん入らず、提出はいつもギリギリといった感じで、学校には好きな洋服を創りに通っていた感じでした。先生方の理解もあり、自由にさせてもらっていたと思います。


そして、学校からの紹介で高島屋縫製株式会社に入社


働くという意味や理由、喜びがわからず、就職する気などは無かったのですが、先生が見かねて就職先を探して来て下さいました。バブル景気は既に弾けていましたが、まだまだ働く先は沢山ありました。そんな時代です。

ここで人生の初の上手くいかないを経験します。

自分で創作するのは得意だったのですが、【他者から指示されたことを覚える能力】が私には著しく欠けていると知るのはこの後15年後ぐらいです・・・。


アルバイトをしながら、女子友達と人生を謳歌


働くという喜びもわからず、言われた仕事が理解もうまくも出来ず、【私は馬鹿だったんだ】と大きく勘違いをして、高島屋縫製を辞めます。その後は自宅の近所でアルバイトをしながら、地元の友達や彼氏と面白可笑しくなんとなく過ごしていました。

彼氏は出来るけど、アダルトチルドレンの私です。いつも取るに足らないような些細な事がきっかけで喧嘩は絶えず、束縛したりされたり、彼を馬鹿にする、彼に馬鹿にされるといったようなダメンズメーカー振りを発揮し、騒がしい恋愛ばかりを繰り返します。
 
また、アルバイトを探す時はいかに楽ちんで、午後5時ぐらいにきっちり仕事が終わるかというのが重要で、仕事内容は何も気にしていませんでした。仕事が終わって、友達と飲みに行ったり、彼と遊ぶ・・・それだけを楽しみに生きていました。

アルバイトも何度、解雇されたか数えきれません(アハハ)


そんな中、いつも遊んでいる飲み仲間女子とは違ったタイプの友達が出来ました。ある日、彼女(Mちゃん)から「れいちゃん、インド行けへん?」と突然言われました。

ちょうど、お洒落女子たちと行った4泊6日のハワイ旅行に何か虚しさを感じていた時だったので【ピン】と来た私は「行く行く!」と一か月のインド旅行の誘いに即答~。


this is a penしか知らんのに海外自由旅行いきなり1か月・・・しかもインド(涙)


無知で無邪気だった為、何のこだわりも知識もなく、Mちゃんと1カ月のインド旅行に出発しました。飛行機のチケットも全てMちゃんが手配してくれて、私はお金を払うだけ・・・この時、私、23才ぐらいだったと思います。

現地ではthis is a penが精一杯の私です・・・英語を話せる機会があっても怖くて恥ずかしくて、そんな方達から逃げるように旅をしていました(笑)


アメリカ留学経験があったMちゃんは英語で色々交渉事を進めます。私はレストランでの注文もMちゃんを通して・・・。Mちゃんにしがみ付くように旅をしていました。そんなMちゃんがジャンヌダルクみたいに私の横でいつも輝いていました。

「Mちゃんみたいになりたい!Mちゃんかっちょいい~!」


良い刺激をもらい日本に戻って英語の勉強を始める!


インドでMちゃんに頼りきりだったり、小さなトラブルさえ解決できなかった自分への悔しさをバネに日本に戻って、英語を勉強し始めました。(初めて学びたいと思った経験かもしれません)


 
コツコツ参考書など片手に英語を勉強して、インド旅行から戻って、約一年後、リベンジ1人旅に出発しました。

その旅先は?